釜石の遺体安置所に関わった、地元の方々のお話をまとめたもの。
地震が起きてから、様々な所で遺体と向きあう人達。探す人、運ぶ人、検査する人、見守る人、奔走する人。遺体安置所から、遺骨安置所になり、その後、身元不明のままの遺骨は、地元の被災を免れたお寺へ運ばれた。
釜石は、ある場所を境界にして、被災した場所と免れた場所でマチが二分した。他の地域や団体の助けもあるが、地元の方も多数、遺体と向き合う事になる。
地震や津波から、あの人を、この人を、助けられたのではないか、もっと自分は何かできたのではないか、と自問自答し続け、苦悩し続ける。時には自分の知り合いや、友人を見つける。
向き合ってきた方達には本当に頭が下がる。自分がお願いされて、果たしてその役をできるだろうか。
遺族に合わせてあげたい、釜石のために、と耐えて努める姿に胸を打たれる。
その時、何が出来るのか、それはわからない。でも、向き合う覚悟はできたのではないかと思う。
知る、ということは、本当に重要な事だ。知って、話す事で、震災とは、遺体と向き合うということはどういう事なのか、二度と起こらないようにするにどうしたら良いのかと言う事を考えるきっかけとして、広がってほしい。
※フラッシュバックなどもありますし、たくさんの方に読んでいただくのは難しいかもしれません。それでも、一人でも多くの方に読んでほしいと思います。
読んでるうちに、被災した方の成人式のスピーチを思い出したり、震災特集のラジオ番組を聴いたりして、被災した方のお話を聞いて胸が痛くなりました。辛い思いをする人がもう出なくなる世の中になってほしいです。